このサイトを始めるにあたって(闘病記1 癌とわかるまで)
いまから5~6年前、たぶん60歳前後の頃だったと思う。地元のかかりつけ医に「いまさら禁煙しても、40年近く吸ってきたのだから、将来は間違いなく肺癌になりますよ。それでも禁煙することはいいことですけどね」と言われた。その確信めいた言い方が妙に頭にこびりついていた。
毎年1回、板橋区の無料検診、肺癌と胃癌の検査は受けてきた。結果はいつも「問題なし」というA4用紙1枚の手紙が届くだけだった。しかし2022年2月に受診したところ、1ヶ月後に保健所からA4の封筒に入った厚みのある封書が届く。開けてみると「右肺に影があるので再検査を受けるように」という案内で、厚みがあったのは検査結果を含めた紹介状の封書だった。
そこで3月18日、知人に頼んで肺癌の外科手術で有名なS病院の呼吸器内科を紹介してもらったものの、「治療はしますが検査は他の病院で受けて下さい」と言われた。特にかかりつけの病院があるわけでもないので、実家のある大山の健康長寿医療センターを受診することにした。
ここは、かつては明治初期に渋沢栄一が都内にあふれるホームレスを救済するために設立した『養育院』という施設があった。広大な敷地には緑豊かな木々が生い茂り、小学生の頃は夏休みになると昆虫採集に夢中になった場所でもある。ただ、当時はコロナ禍だったため病院も患者数を絞っていたのかもしれない。予約が取れたのは4月4日だった。
通院での検査はまず消化器内科(5月6日)、次いで呼吸器内科(同17日)、CT検査と腹部エコー(6月7日)――検査日が毎回違えば、結果を聞く日もバラバラ。時間のロスとはこのことを言うのだろうが、これが日本の病院かもしれないと諦めた。
担当してくれたのは20代後半の女医で、6月21日にCT検査の結果を聞きに行くと、彼女いわく「3つの可能性があり、一番可能性が高いのは、肺の内部で動脈と静脈が癒着していることです。このため病理検査は傷つけてしまい肺の内部で出血する可能性があるのでできません」とのこと。肺癌の疑いもあるものの、可能性は低いだろうとのこと。詳しいことは教授と相談するというので、はっきりした診断は持ち越しとなった。「おいおい、大丈夫かよ?」というのが正直な印象だった。
6月27日、ようやくPET-CT検査ということになった。これはがん細胞の有無を調べる検査で、静脈にがん細胞の好む薬剤を注射して1時間ほど安静にし、CT検査を受けるというもの。CT画像では、活動しているがん細胞は赤く浮き上がり、薬剤に群がるように集まっているのがわかる(といっても、当時はそこまで画像を見られたわけではない)。
そして翌28日は流山の親戚の家へ芋掘りに行くため、5時には兄にクルマで迎えに来てもらうことになっていた。ところが急な発熱で、芋掘りは早々に断念。森保監督の会見は取材したものの、あとは終日自宅で安静に務めた。
しかし2日経っても一向に熱は下がらない。仕方なく病院に電話をして相談したところ、男性ドクターから「いますぐ入院して下さい」と言われた。そこで兄に迎えに来てもらい入院すると、「右肺が炎症を起こしています。肺炎です」との診断。簡単に熱が下がらなかったわけだ。当時はまだコロナの感染が不安視されていたため、隔離する意味で個室に入院できたのはラッキーだった。そして翌8月1日のPCR検査は陰性のため、まずは肺炎治療のための点滴を1日3回、10時、18時、02時と連続して行うことになった。
PCR検査の結果、4日には大部屋へ移ることになったが、差額代なしで個室に4日間入院できたのだからラッキーと言うべきだろう。6日にはいよいよ内視鏡検査ということになった。そうそう、入院して担当になった男性ドクターに、「やはり動脈と静脈の癒着ですか?」と聞いたところ、いまさら何わかりきったことを言っているんだという顔をされてあっさり一言「肺癌ですよ」と断言された。4月からの検査はいったい何だったのだろう。
内視鏡検査は、大部屋で麻酔の点滴を打たれるとベッドごと1Fへと移動。ベッドの入る大きなエレベーターで降りると、これまた大きなドアを抜けて検査室に入る。そして喉の麻酔薬を噴霧してもらったのだが、ここらあたりから記憶が怪しい。かすかに覚えているのは麻酔が覚める頃、ドクターの「(肺の)内壁も削り取っておいて」という指示の声で、その通り肺の内側が削り取られている感覚がした。
7月8日は肺炎が完治したかどうか、COPDの検査と血液検査、肺のX線での結果待ちだが、衝撃的だったのは病室のテレビを見ていて安倍晋三・元総理大臣が暴漢に襲撃されて死亡したことだった。まさか日本で、手製のライフルで死亡事件が起きるとは思っていなかっただけに、衝撃的としか言いようのない。そして9日、無事に肺炎は完治して退院となるのだが、翌週からは肺癌の検査と治療が始まることになる。これからが本番だった。